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  • 2011.10.26 Wednesday
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脳死と臓器移植

未だ賛否の声が絶えない脳死の判定と臓器移植の問題について

脳死判定の基準というものが様々取りざたされ、議論を呼んでいるが、そもそも脳死判定というものの必要性が出てきたのは何故なのだろう。
脳死と臓器移植という言葉を並べてしまうと、「臓器移植のために脳死判定」が必要になったのかと思ってしまう。
穿った見方ではあるが、事実、自分もそうなのかと思った。
いろいろ調べていると、脳死であっても心臓が動き続けるケースもあり、身体自体は生きているように機能しているということがあるそうだ。
最も長い人で21年間心臓が動き続けていたそうである。

現在の脳死の定義を見ると「大脳、小脳、脳幹」の全てが死んでいる状態を言う。
・・・あまりにも簡単に言いすぎたので、Wikiの内容を以下に記す。

1. 深昏睡(JCS300またはGCS3)である。
2. 瞳孔固定 両側4mm以上。
3. 脳幹反射(対光反射、角膜反射、網様体脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳嗽反射)の消失。→よって失明、鼓膜損傷などでこれらが施行できない場合は脳死判定はできない。眼球が損傷していると対光反射、鼓膜が損傷していると前庭反射(カロリック試験)の有無が判断できないためである。
4. 平坦脳波。(刺激を加えても最低4導出で30分以上平坦)
5. 自発呼吸の消失。(100%酸素で飽和したのち呼吸器を外し、動脈血中二酸化炭素分圧が60mmHg以上に上昇することを確認。脳に影響を与えるため、必ず最後に実施する。)

通常、人の身体は大脳や小脳が死んでも「脳幹」が生きていれば心臓は動くようであるが、「脳幹」が死ぬと臓器の回復は見込めないとなっているそうだ。

しかし、先に挙げた脳死でも21年間心臓が動き続けたケースもあり、そこまでいかなくても同様の症例は多々ある。
なので、専門家の間でも脳死基準について賛否の声が分かれている。


臓器移植で助かる命

臓器の提供を心待ちにしている人は多い。
そういう人たちにとって「脳死」の判定というものは、なくてはならないものだろう。
しかし、そういう人たちは、何も人の死を願っているわけではない。
自分の命というものを重く受け止めているからこそ、他人の命に対しても重く受け止めていると思う。
そういう人が臓器移植で与えられた命を粗末にすることはないと思う。
しかし、不幸なことに臓器移植は脳死判定と一対の問題である。
だから、脳死判定はおろそかにしてはいけない問題だろう。
しかし、政府の法案可決の様子などを見ていると、妥協の中から生まれたようにも受け取れる。
政治とは概ねそのようなものであるが、それを「とことん突き詰めていった最終決断」であると国民に納得させなければ意味がない。
国民が納得出来なければ、ドナーは増えず、臓器移植についての理解も得られない。
だから、未だに脳死判定の賛否についても有耶無耶なままになっている気がする。

恐らく、脳死判定にも臓器移植にも、絶対的な「善悪」の判定は不可能である。
ならば「何が最善か」を模索して問わなければならないのではないか?
人の死にまつわるあらゆる場面での最善が問われるのではないかと思う。
つまり、脳死判定以前の「治療」や「蘇生」に関して、何が最善かをキチンと示して、最善が尽くされたかどうかということが問われる筈じゃないだろうか。
緊急時の蘇生術にしても、人々に全く情報が行き渡っていない状況であり、何が最善かわからない状態で、「最善を尽くしました」と言われても、納得できない場面も多々あるだろう。
そこがクリア出来なければ、いくら臓器提供を承認するドナーカードを持っていたとしても、遺族は納得出来ないはずである。
今できる最善の方法は何か、そして、その方法の不完全性までの情報をも提供して、初めて納得が得られると思う。

何にでも言えることであるが、医療にも「絶対」はない。
将来わかることでも今わからないことが沢山あるはずで、賛否が分かれている時点で医療の不完全さを証明している。
「救命の連鎖」という言葉がある。
救命の場に於いて様々な要因が偶然重なったおかげで、危機的状況を逃れるということである。
そのような連鎖が起これば、「奇跡」と人は呼ぶ。
しかし、このような「偶然」の出来事も、いくつかは「必然」に変えられることもある。
その積み重ねが「最善を尽くす」ということであり、それが出来れば、いくら賛否が分かれる問題でも、良いように進むのではないかと思う。
本当に最善を尽くせば、そこには「感謝」が生まれる。
そうして臓器提供を受けて、命を与えられた人も「感謝」と共に生きられる。
臓器提供の場で「憎しみ」や「後ろめたさ」が生まれないように、最善を尽くすことが大切なのだろうと思うと共に、最善が尽くされたものに対して、とやかく言う心を戒める倫理も大切だろう。






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